漢方





肉を食べていた。 
滴る水音に、柔らかく弾力のあるものをかみしめる音が響く。あたりはほの暗く、洞窟のように閉鎖されている。そして、生臭い、甘くむせかえるような臭いが漂っていた。
そこでロベルト・ニコラスは、臓物を抉り出されて鮮血に染まり、汚れていないところだけはひどく青ざめて横たわる平賀の顔を見下ろしていた。血に染まった手を伸ばし、彼のあばらの下から手を入れる。
そして肺の下部を引きちぎり徐に口を運んだ。
肺の断片から血が滲み出、口角を伝った。
「これが、本当の僕さ……」
***
ハッと目を覚ました時、自分がうっかり居眠りをしていたということに気が付いた。
ロベルトは、顔をさすって眠気を覚まそうとする。どうにも最近疲れているのか、意図せず意識を失うことが多かった。
はたと、机上を見渡すと、「漢方」「料理」「本草網目に関する資料」などがごちゃごちゃと散らかっている。そうだ、最近調子の悪そうな平賀に、健康に良さそうなメニューを考えていたところだったのだ。
ロベルトは一通りの資料を片付けると、時計を見た。今日は休日で、午後三時を回ったところである。ディナー用の食材を買い出しに行くため、ロベルトは自宅を後にした。
夕刻、平賀をディナーに招待した。
「いつもすみません」
「いいよ。僕が好きでしていることなんだ」
ロベルトは手早く食材をキッチン台に広げ、下準備を始めた。
「君は奥のリビングでくつろいでいてくれて構わないよ」
「では、この前読みかけだった本を読ませてもらいますね」
そういうと平賀は、勝手に奥の部屋の本棚の前へと直行した。
ロベルトは料理を作る作業に取り掛かる。
平賀は、普段から何を食べているのかわからないが、栄養不足であることには違いない。この前イギリスで自動車事故にあったときには、僕より軽傷だったにも関わらず貧血で倒れたり、手の甲がカサカサに乾燥していたりと明らかに栄養が不足している。
ロベルトは料理にナッツや肉類、血を補う効果のあるにんじんなどをふんだんに取り入れたスープと、平賀の好きな辛みのある食材「薬念醤(ヤンニンジャン)」を使ったメインの肉料理をさらに盛り付け、卓上に用意した。
「平賀、こちらへきてテーブルの準備を手伝ってくれないか」
「わかりました」
平賀は、棚から必要な分だけの皿やカトラリーを取り出し、テーブルに準備した。
そこへロベルトが料理を盛り付けていく。
「いつも思うのですが、あなたは魔法使いのようです」
「なんてことないよ、さあ乾杯しよう」
「はい」
パーチェ。二人はグラスを交わした。
「これはなんという料理ですか?」
そういいながら平賀は、スープをひとさじすくって、口へ運んだ。
「和膳をアレンジして考えた僕の創作料理だよ。」
「体が温まりますね」
「まあね。君は最近疲れているだろう? 最近、医食同源に関する本を読んだんだ。科学的につくられた薬に頼らず、食物が本来持っている力を利用して体を健康にする、といった漢方の考え方は料理に活かせると思って、君のために新しいメニューを考えてみたんだよ。これらの料理には実際の漢方薬はつかっていないけれども、考え方として活かしていてね。たとえばそのスープに入っているにんじんやナツメは血を作り、巡りを良くするんだよ」
「ロベルトには何でもお見通しですね、あなたは凄いです」
ロベルトは平賀にそう言われて、つい嬉しくなり、少しはにかむようして微笑した。
平賀は続けた。
「私は東洋医学の分野はあまり詳しくないのすが、ロベルトはいつも栄養のことを考えて料理なさってますよね。やはり、それは才能だと思います」
「買いかぶりすぎじゃないかな。
ちなみに、こっちの肉料理は、君の好きな辛みを効かせた薬念醤を使った料理だよ」
平賀は、肉を一口大に切り分け、口へ運んだ。
「おいしいです!」
ロベルトはフフと笑った。
「時に平賀、漢方には人由来の生薬もあることを知っているかい?」
「いえ、知りません」
平賀は、フォークとナイフを止める。
「明時代に李時珍によって書かれた「本草網目」という本には、膨大な量の薬学に関する知識が書かれているんだけど、その中には人間の血液や臓器を病気治癒や体質改善のために用いていた記述も入っているんだ。
とりわけ、人血は乾燥肌に効果があるそうだよ」
そういってロベルトは、平賀がナイフを握っている手をそっとつかんで、カサカサした彼の甲を親指でなぞった。
「やめてください」
「冗談だよ」
ロベルトは真意を読み取れないうすら笑いを浮かべて、手を離す。
「また、事林廣記には、内腿の肉を病気で弱る身内に食べさせることが称賛される行為として、政府から絹や羊などをもらうことができたと記述されている。当時の人々にとって、病に伏す身内…とりわけ身近な人に自分の肉を切り与えるといったことが尊ばれる孝行として認識されていたんだね。内腿のほかには、肺の一部などを切り取って弱った兄弟のために調理して食べさせたという話も残っているよ」
「はあ…そうですか」
平賀は、また一口、肉を切り分け口へ運んだ。
ロベルトは平伏した。彼ならたぶん、惨殺死体を見た日でも平然と肉料理を食べられるのだろう。しかし見逃さなかった。
複雑な表情で、一瞬だけうつむくところを。良太のことを考えているのだろうか、とロベルトは勘ぐる。
「僕はね平賀、例えば君が病気になって死ぬかもしれないというときに、ほかに方法がなかったとしたら、喜んで君に僕の肉の一部を差し出したいと思っているよ」
「縁起でもないです!
私はそう簡単に死んだりしません」
「たとえ話だよ平賀。それくらい君を大切に思っているってことさ」
ロベルトはニコニコとしている。
平賀は少し怒った様子で、むしゃむしゃと残りの料理を頬張った。
***
その日の晩、ロベルトは夢を見た。
滴る水音と柔らかく弾力のあるものをかみしめる音が響く。
あたりはほの暗く、洞窟のように閉鎖されており、生臭い、甘くむせかえるような臭いが漂っていた。
そこで、自分は鮮血に染まる臓物を抉り出され、青ざめて横たわる平賀の顔を見下ろしていた。血に染まった手を伸ばし、彼のあばらの下から手を入れる。そして肺の下部を引きちぎり徐に口を運んだ。
口角に深紅の線が伝う。
「これが、本当の僕さ……」 

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