硝子の窓から





「今日はここに泊まるのか…」
そういいながらロベルトは口から白い息を漏らした。
夕闇が迫るイギリス カンブリア州のマーチンデイル。奇跡調査でそこに訪れた平賀とロベルトは、青白く月明りを反射する雪に埋もれた、小ぢんまりとしたかわいらしい平屋建てのバンガローの玄関先に立っていた。 緑色の屋根が特徴的なバンガローの窓からは、飴色の光がこぼれており、今日一日、外出していた二人を温かく出迎えてくれた。
調査で訪れた先では、お世辞にも快適とは言えないシェルに通されることが多く、清貧の誓いを立てた神父の身であるからそうであって当然なのだが、今日の宿泊する施設はいつものそれよりずっとマシである。
「まるで小旅行のような気分だね」
「そうですね。でも、私たちは奇跡調査にきたのですから、気を引き締めていきましょう」
先にドアを開けた平賀神父の後ろにつきながら、ロベルトはキャンプにきたときのように胸躍らせて、バンガローの室内へと続いた。

部屋の中は簡素な木造建築で、木肌がむき出しになった素朴なテーブルセットと簡単なベッドが設えてあった。
手持ちの荷物を下ろし、部屋を暖めながら作業スペースを確保しようと間取りを確認していた時、ロベルトは窓辺に噛り付いて、そこにある何かにじっと意識を集中している平賀に気が付いた。 こういう時の平賀は猫のように静かである。
彼に気づかれないよう近づき、そっと背後から声をかけた。
「どうしたんだい、平賀?」
「ああ、ロベルト神父。 ここに置かれていたスノードームが綺麗でつい夢中になっていました」
平賀が示す先には、10センチ弱の球体がケルト風の文様が彫り込まれた木製の台座に鎮座し、中で白い粉雪が舞っていた。ロベルトはふと気が付いた。
「スノードーム?…ああ、スノーグローブのことかい?……へえ、小洒落ているね。
ところで、この中に入っている建物はもしかして、僕たちが今いるバンガローとそっくりじゃないかな」
「そうなんです。 あなたが以前、絵画の中の絵画と言っていた景色に似ていませんか?」
言われてみれば確かにそうだ。絵画の中の絵画のように、
バンガローの室内に置かれたスノーグローブの中に、同じバンガローがある。
とすると、この球体の中にあるバンガローの中にもまた同じようにスノーグローブが置かれていて、そのスノーグローブの中には同じようにバンガローがあるのだろうか……。
一瞬、奇妙な感覚にとらわれたロベルトは、
「これじゃあまるで、ここにいる僕たちはスノーグローブの中に入ってしまったみたいだ」
と平賀に聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。
「何か言いましたか、ロベルト?」
「いや、ちょっとね。こんな演出がしてあると、ひょっとして今僕らがいる世界は、本当はスノーグローブの中の世界で、閉じられた球体の中にいるんじゃないかと思ったんだよ」
「まさか、そんなはずありません。私たちはこの球体の中におさめられている景色よりもはるかに遠いところから来たじゃないですか」
「確かにそうなんだけれど…」
ロベルトは平賀に自分の言いたいことがいまいち伝わっていないことにやきもきしながら、どう説明したものかと思いを巡らせた。
「じゃあ、想像してみよう。もし僕たちがいる世界がスノーグローブの中だとしたら、ここにあるスノーグローブの中のバンガローにも同じように人がいることになるだろう? その人たちはこの球形の硝子の中で過ごしていることになるんだよ。それって、なんだかとても……」
そこまでロベルトが言いかけたとき、平賀は冬の夜空のような瞳を輝かせて
「はてしなく小さな世界が広がっているということですね!」といった。
「でも、どうやって生活するんですか?スノーグローブの中に住むひとたちはどうやって食料や水を調達しているのでしょう?」
「さて、どうやって暮らしているんだろうね」
平賀は顎に手を当てて、考え出してしまった。本気で回答をひねり出そうとしているらしい。
仕方ない。仕方ないのだ。彼は僕とは違う。普段通りなら、そうかいと一言言っておらわせてしまうところだったが、
だがしかし、そのときロベルトはどうしても伝えたい思いが、喉につかえて苦しく感じた。
「平賀…今日はもう遅い。明日に備えて早く寝ておこう」
「それもそうですね。おやすみなさい」
彼はてきぱきとした様子で、服やタオルなどを片付け、ベッドにもぐりこむ。
ロベルトも寝る準備をし、平賀の隣のベッドを使うことにした。平賀がいる方とは反対側をむくと、窓の外に銀色の凍り付いた景色が広がっている。
昼間降っていた雪は既にやみ、月明りを背に受けて輪郭を光らせる厚い雲の隙間から濃紺色の夜空を覗かせていた。

……もしかしたら、今僕たちがいる世界はスノーグローブの中の世界かもしれない。
ロベルトは目を閉じ、平賀に言いかけて話せなかった思いを夢想した。

雲の切れ間から覗く夜空とその向こうに広がる硝子の天球。
その天球の外側には広大な空間があり、そこからやってきた大きな大きな自分たちが硝子の窓からこちら側をみて優しく微笑んでいる……。
そう思うと、僕らの体はたちまち作り物のそれになって、閉じ込められて永遠に出ることのできない、
永久の平穏と安寧を約束されているような気がしたんだよ。

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