君の卵





ある朝、平賀神父は自宅で眼を覚ますと、ちょうど右太もものあたりに、ピンポン球程度の大きさの硬いものがあたっているのを感じた。
なんだろうと思い布団の中を探ってみると、それは「卵」だった。
こんなものいつの間に布団の中に紛れこんだのだろう。
白く片手に丁度収まるサイズのそれが、奇跡的につぶされず脚の温度で生ぬるく温められている。
平賀は寝る前のことを回想した。
―昨日は買い物に行ったろうか。行ってない。誰かにもらったか? いな、日曜日は誰とも会っていない。
……としたら、どうして卵が突然ベッドの中に? まるで見当がつかない。
これは一体、どう言うわけか。もしかしたら、奇跡に関係したことなのだろうか?

そう考えると、一見なんの変哲もなさそうな鶏の卵は、なにかすごい秘密を隠しているのかもしれない。平賀はいてもたってもいられなくなり、しばらく部屋の中をうろつきながらあらゆる可能性を考えはじめた。
あるいは、もしくは、おそらくは……
そのうち、自宅にロベルトがやってきた。
「やあ平賀。遅いから迎えに来てしまったよ。……何か考え事でもしていたのかい?」
平賀はロベルトに話しかけられるまでずっと彼の存在に気づかず、部屋の中を徘徊していたが、彼に話しかけられた瞬間、くりっとロベルトの方へ顔を向けた。
「ええ、今まさに不思議な出来事に遭遇したところなんです、聞いてください」
「それはいいけど、きみはまだパジャマだし髪の毛もぼさぼさだよ。このままでは、朝の祈りに遅れてしまうんじゃないか?」
「……そういえば、そうでした。私としたことが、つい考え事に夢中になってしまい時間を」
「そんなことだろうと思ったよ」
ロベルトは呆れながら平賀が着替えるのを手伝ってやり、一緒に聖徒の座へ向かった。

その日の午後、聖務を終えた二人は、ロベルトの家でディナーをとることにした。
アンティパストをつつきながら、ロベルトは平賀に、気になっていたことを切り出す。
「ところで、今朝君が言っていた不思議な出来事って、いったい何のことなんだい?」
「そうです、聞いてください! まさに驚くようなことが起こりました。
 私が朝起きたら、なんとこれが」
そういって平賀はカソックのポケットの中から手のひらに何かを握ってとりだした。
目の前に差し出されたそれは、平賀の手のひらにしっぽりと収まる白い「卵」だった。
「これは……」
「はい、一見すると、ごく普通の鶏の卵なんですが、これが朝起きた時、私の丁度脚のところに寄り添うようにしておかれていたんです。私はここ最近、卵を買った覚えも誰かからもらった記憶もないので、なぜこれがベッドの中に入っていたのか、不思議で仕方なくて……」
ロベルトは何がおかしいのか薄く笑った。
「ふうん。じゃあそれは、君が寝ている間に産み落としたのかな?」
平賀はあっさりとロベルトの意見を否定した。
「人間に卵を産むことなんてできません。そんなことがあったら、まさに奇跡です」
「その奇跡かもしれないよ」
ロベルトの言葉を聞いて、平賀は一瞬たじろぎ、「まさか」とつぶやいた。
「卵といえば復活祭がすぐに思い浮かびますが、今は真冬です。復活祭まではずいぶんとあるじゃないですか。だとしたらこれは、何を意味する奇跡なんでしょう」
「うーん、そうだな…僕が思いつくところだと、卵はキリスト教では復活のシンボルだ。特にマグダラのマリアはキリストの昇天後、当時のローマ皇帝に赤い卵を贈りそのことを伝えたとされている。だから卵は墓と、復活を意味しているんだよ。またユダヤ教では新しい命と信仰のシンボルとされているね」
「復活、ですか……」
ロベルトはうつむいて深く考え込んでいる様子の平賀をじっと見降ろしていた。
彼の整った黒髪の分け目が目下に見える。 純粋な、まるで赤ん坊が考え込むような様子に思わず笑みがこぼれそうになった。
「どうしたんですロベルト神父?」
「いや、ちょっとね……ふふ。ところで平賀、その卵はこれからどうするんだい?」
「そうですね……食べられるのだとしたら、食べてしまうのがいいかもしれませんが…念のため成分分析機にかけてみたい気もします」
「その必要はないよ」
ロベルトが平賀を遮った。
「なぜです?」
「それはね」
そういって、ロベルトは平賀の手から卵を奪い、空いた器のふちで殻を割った。
殻を破って中からとろりと卵黄がおち、そのあとに卵白が続く。
なんのことはない、ふつうの生卵だ。
ロベルトはスプーンで卵黄をひとさじすくい、口へ運んだ。
「うん、美味しい」
平賀は呆気に取られてその様子を眺めていた。
ロベルトはその様子が面白くてこらえきれなくなり、ついにハハハと笑いだした。
なぜロベルトが笑っているのかを理解できなかった平賀は
「何がおかしいんですか?」と冷静に質問した。
「ごめんごめん。実をいうとね、平賀。これは君が寝ている間に僕が仕掛けたんだよ」
「なんですって?!」
ロベルトの言葉を聞くなり平賀の顔はみるみる真っ赤になる。
「君の反応を見てるのが面白くて、ついネタ晴らしするのを遅らせてしまったんだ。許してくれ」
「ちょっと!ロベルト!?私をからかったんですね?! 信じられません。 真剣に考えて損をしました」平賀は機嫌を損ねてしまったようなので、ロベルトは慌ててフォローした。
「そんなに怒らないでくれよ。ちょっとした冗談だよ」
しばらく黙っていた平賀だったが、そのうち事のいきさつがおかしくなってきて、思わず吹き出してしまい、そのあとは二人で面白おかしく笑いあった。

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