[小さな約束]




十月も末。街ではハロウィン祭の賑やかな気配が漂い始め、ローマでも仮装した子供たちが歩く姿をたびたび見かけるようになった。

ロベルトが風の噂に聞いたところによると、バチカン内では、ハロウィン祭は悪魔や闇を楽しいこととして間違って捉えられる危険性があることから禁止すべきだという声がたびたび上がっているらしい。しかし毎度スルーする方向で話がもみ消されているということだ。
しかし、今年はカトリックの万聖節のお祝いである行事を子供達に教えて教会への理解を深めてもらうため、まずは彼らに近づいて教会に親しみを持ってもらおうではないかというお上の意向によって、仮装して子供達にお菓子を配り、教えを説くというイベントが開かれることになった。
はてや誰の権力か、そのイベントに参加することになってしまった平賀とロベルトは朝から身支度でおおいそがしだった。
平賀は面白そうです!と目を輝かせて意気込んでいたが、ロベルトはあまり仮装するのは得意ではない。むしろハロウィン祭はアメリカの行事という印象をもっていて苦手意識すらある。
しかし、サウロ大司教から「君は子供の相手をするのが得意だろう?」と釘を刺されてしまい、やむ終えず平賀と二人で仮装する羽目になったのである。
「ロベルトはその吸血鬼の衣装がお似合いですね。」
「やめてくれ平賀。あのイギリスでの事件を思い出してしまうよ」
「ああそういえば…そんなこともありましたね」
以前、イギリスでの調査を終え、帰りにトラブルに遭遇してしまい帰国できなくなった際、吸血鬼に出会って平賀が死にかけたことがあった。思い出しただけでもぞっとする。
しかしそんなロベルトの気持ちなどつゆしらず、平賀は楽しそうに笑っていた。ロベルトはそれを見て、引きつって笑った。

ところで平賀といえば手頃な衣装がなかったので、手近にあった包帯を体にぐるぐると巻きつけていた。マミーということらしい。そんな格好で寒くないのだろうかと思ったが、ヒートテックを着込んでいるので大丈夫です!と返された。あとで風邪を引かないか心配である。

子供たちのいる施設に到着するなり、二人は面食らった。
子供たちは神父たちが仮装して現れたことが面白く映ったらしく、平賀は体に巻きつけている包帯を引っ張られるやら解かれるやら始終困る始末で、ロベルトはといえばマントを引っ張られたりけりを食らわされ、そのたびにやんわりと叱る次第だった。まったく、子供というものは好奇心の塊である。
二人は子供たちに菓子を配り、万聖節のお祝いについてわかりやすくロベルトが話した。子供たちも彼のまろやかな話口に聞き入っているようで、しばし静まり返る。そして最後にみんなでお祈りを捧げ、無事にイベントが終了した。
この日の予定は二人ともこれが最後だったので、帰路につく道すがらロベルトは平賀をディナーに誘った。

「ちょうど収穫祭の時期だからね。市場で新鮮な秋野菜を沢山仕入れたんだ。フェンネルにざくろにポルチーニ、エトセトラ。
今夜ディナーを振る舞いたいんだけど、予定は空いてるかな?」
「ええ、もちろんです。いつもお世話になってしまいすみません」
「いいよ、僕の趣味みたいなものだから。今夜は特別なディナーにしよう」


その日の夜、ロベルトは市場で仕入れてきたポルチーニを豪勢に使ったクリームフェトチーネと付け合わせにフェンネルをいれたミネストローネ、そしてガーデンクレスと旬のアーティンチョークにオリーブオイルをたっぷりと絡めたサラダを作った。
フェンネルは生で食べると癖があるがスープにいれてよく煮込めば癖が消えて美味しくなる。
デザートには市場で仕入れた新鮮なざくろと小麦粉を使ったコルヴァと呼ばれるイタリアの伝統菓子を作った。血のような赤さが目に鮮やかである。

「うわあ、凄いです。とても良い匂いがしますね」
「どれも新鮮な食材を使っているからね。秋の香りがするだろう?」
ロベルトはニヤニヤしながら平賀の顔を覗き込んだ。
平賀は春にピゼッリのスープを飲んでひとしきりはしゃいでいたことを思い出し、恥ずかしくなって目をそらす。
「そうですね。ロベルトが言うんだから間違いありません」
「そんなに怒るなよ」からかう調子でロベルトが微笑む。平賀はムキになって「怒ってませんよ!」と口を尖らせた。
「さ、早く食べよう。料理が冷めないうちに。ほら」
ロベルトは平賀の皿にサラダとパスタを分けてやった。
平賀はお腹が空いていたのか、一口手をつけると、たちまちもりつけた分を平らげてしまった。
「とても美味しいです…!」
さっきまで膨れツラをしていた平賀も、料理のおいしさには逆らえず、何故怒っていたのかをたちまち忘れてしまった。
それからは談笑を挟みつつ楽しいディナータイムを過ごした。
「そういえば、このデザートは見たことがありません。なんという料理なのです?」
平賀が赤いデザートの乗った皿をつつきながら問いかけた。
「それはざくろを使ったコルヴァというイタリアの伝統菓子だよ。このお菓子には少し思い入れがあってね。毎年今の時期にちょうど死者の日にあわせて母が作ってくれていたものなんだ。」
ロベルトは遠くを見つめるように微笑んで答えた。平賀にはその様子がどこか寂しげに見えるような気がした。
「死者の日、ですか?」
「今ではあまり祝わない家もあるだろうけど、昔から続くイタリアの伝統行事だよ。
ちょうど日本のお盆に近いイメージなんじゃないかな?」
お盆、といわれて平賀は故郷の祖母を思い浮かべる。
「お盆、ですか。そう言われるとなんとなく親近感がわきます」
「そうだろう?」
「お盆には田舎の習わしでお墓参りに行かされました。あなたも行かれるのですか?」

「そ、それは」

平賀の無垢な瞳に見つめられてロベルトはたじろいだ。実は一度も行ったことがなかったのだ。

「行かれるのでしたら…わ、私も付き添ってはいけないでしょうか」

「なんだって?」
平賀の突然の申し出に、ざくろに突き刺したままフォークを止めた。冷や汗がつっと一筋伝う。戸惑いをかくせない。平賀は続けた。
「急にすみません。でも、私はあなたのことをなんでも知りたいのです。家族のようなものですし。お邪魔でしたら行きませんし」
「邪魔だなんてとんでもない。君が来たいならきてもいいけど」
予想だにしない新しい付き添い人にロベルトは緊張して声が上ずった。彼の発した「家族のような」という言葉が、ロベルトの中でリフレインする。

家族…。
彼は今まで僕をそんなふうに見ていてくれていたのだろうか。ロベルトの方では平賀を弟のように慕っているつもりであったが、
彼の放った家族という表現に、ロベルトはうろたえた。
平賀は急に主人の胸の中に飛び込んできて手を焼かせる子猫のようなところがある。
ロベルトにとって驚くと同時に嬉しくもあった。頰が上気し、顔が火照るのを感じる。彼がそばにいるなら、行けるかもしれない。
「では、行きましょう!」
無垢な微笑みを向けられることに少し心が痛みながらも、墓参りに行くことを決心した。

翌日。軽い朝食を済ませた二人は、市場で菊の花を買い、ロベルトの母が眠る墓地へ向かった。
鉄道を乗り継いで道すがら、ロベルトは胸中に秘めていたことを平賀に吐露した。
「実は、これから向かう墓地に行くのは今日が初めてなんだ」
「えっ」
「場所は知らされていたんだけどね…怖くて行けなかったんだよ。もし、親戚の人に会ったらと思うと」
「何故、親戚の人に会っては行けないのですか」
平賀はロベルトの考えていることなど検討もつかないのだろう。当たり前といえば当たり前だ。
彼は無垢な魂の持ち主で、人の心の闇には疎い。
「それは…僕が犯罪者の息子だからさ」
平賀は何かを言いかけて言葉につまり、口をつぐんだ。まずいことを聞いてしまったと思い、いたたまれなかったのだろう。少し沈黙が流れたのち、ロベルトが静かに口を開く。
「そんなに気にしないでくれ。もともと親戚とは付き合いが薄いから、というのもあるが、僕のことをよく思ってくれている身内はあまりいないと思うよ。だから、もし親戚と鉢合わせたらと思うと怖いんだ。犯罪者の息子が来た、ってね。笑ってしまうだろ」
「ロベルト…」

墓所の門をくぐり抜け、しばらく歩いたところに小さく母ナオミの墓が建てられていた。
幸い、ロベルトの危惧は外れ親戚の誰かと遭遇することはなかった。無事に菊の花を献花台にそなえ、それぞれ祈りを捧げた。しばらくの間沈黙していた平賀が、墓石を見つめながら、とつと語り始めた。
「もしあなたに対して不名誉なことを言う人がいるのなら、私がなんとしてでも弁明したいです」
平賀は隣にいたロベルトに顔を向けた。真剣な眼差しで見つめている。
「だってあなたは、何も悪くないじゃないですか。そんなの、あんまりです」
平賀は言いながら鼻を赤くしていた。今にも泣きそうだ。平賀はとても優しい。ロベルトは彼の頭を優しく撫でた。
「…うん、ありがとう…そういってくれて嬉しいよ。でも僕が気にしたって仕方のないことだ。それに、君がそばにいてくれたおかげで僕はようやくここに来ることができたんだ。感謝するよ」
そうして平賀の手を握りしめた。ロベルトの手から暖かさがじんわりと平賀に伝わる。なんて温かい手だろう、心の温かい人は手が温かいのだと何処かで聞いた話を平賀は思いだした。
ロベルトはじっと平賀の瞳を見つめている。
「来年もまた一緒に来てくれるかい?」
平賀はにっこりと笑って答えた。
「ええ、もちろんです」
それから手を取り合い、二人は墓所を後にした。


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